松島コミュニティ|であい ふれあい ささえあい

史跡番号3 東浜村役場の跡

  • 東浜村役場の跡
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高松市に松島町や福岡町が生まれたのは大正10年(1921)1月1日のことであった。 明治23年(1890)、市町村制が実施された際、松島・塩上・花園に及ぶ区域の旧東浜村と福岡下村を合併して新しく「香川郡東浜村」が発足した。
旧村名は大字(おおあざ)となった。そのとき、東浜村役場は大字東浜字(あざ)松島西ノ丁で伊賀駒吉郎宅を仮事務所として業務を開始した。 その後も左図に示すところを転々としたが、現在の小学校正門から道路の向側の地に設置された。当時の村勢は、人口7,085人(男3,437人・女3,648人)・世帯数1,679戸であった。高松市へ合併するまでの30年間、東浜村の行政・産業経済の中心地であった。

平成7年1月

東浜村役場の場所の変遷を説明板で知ることができます。 この説明板は高松市立松島小学校西側に併設して設置されていました。 平成21年4月に松島小学校・新塩屋町小学校・築地小学校が合併し高松市立高松第一小学校が、平成22年4月に光洋中学校が城内中学校と合併し高松第一中学校が開校しました。小学校と中学校が同じ敷地内にある、「高松第一学園」の愛称を持つ四国初の公立小中一貫校です。生徒数減少による統廃合が香川県下で行われています。
高松第一学園の西側の道は、桜の苗木が植えられ「学園さくら通り」と呼ばれるようになりました(平成25年)。 北へ伸びるこの道路沿いには、福岡町に県立体育館・高松競輪場・県立武道館、朝日町に県立中央病院(平成26年移設)があります。