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史跡番号10 沖松島の塩釜さん跡

  • 沖松島の塩釜さん跡
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ここ、沖松島に製塩業が盛んであったころの天保9年、当時の有志西尾・難波氏等により、塩業の発展と住民の安泰を祈り、陸前の国(宮城県)より塩椎神(しおつちのかみ)を迎えお祀りした。その他、猿田彦命(さるたひこのみこと)・天鈿女命(あめのうずめのみこと)・流石大明神(りゅうせきだいみょうじん)などの神を合祀し安産の神としても尊ばれた。
明治34年に村上健次郎・中川栄吉・福西米次郎等によって改築された社殿は、本殿(二尺・五尺)中殿(一間・二間)拝殿(方二間)があり、沖松島の本通りを見通すように西向きに建てられていた。境内は132坪の広さがあり、社殿の左側には塩・石炭・フクベ砂等の運搬船の航海安全を祈って船玉社(ふなだましゃ)が祀られていた。祭日は10月19・20日で、塩田の親方衆が当家を勤め、昼は運動会や相撲が行われ、夜にはニワカ芝居もあり賑わった。昭和38年市の区画整理により高松市汚水処理場が建設されることになり、同年1月1日福岡町4丁目2番に遷座した。

平成7年1月

塩釜神社はかつて市下水施設管理センター北西角に鎮座していました。高松古浜塩田のあったこの地に、天保9年(1838)、宮城県塩釜より塩椎神を迎えてお祀りしたのが始まりとされています。塩田の関係者に特に大切にされたことでしょう。昭和38年からは西南西約500mの所(市立体育館西方の「八丁さくら通り」)に移動して鎮座しています。塩釜さん跡からさらに東へ進むと詰田川に出ます。こには、大病難病を治してくれる「全治なで不動明王」が祀られており、地域の人々から信仰されています。
さて、この詰田川は高松市元山町付近に源を発し、北流して朝日町で瀬戸内海に注ぐ川です。木太町で宮川、河口付近で御坊川が合流しています。高度経済成長期には、生活排水や工業排水で急速に河川の汚染が進みました。 河口部の工場用地やゴルフ場は塩田跡です。