松島コミュニティ|であい ふれあい ささえあい

史跡番号7 御坊川の井堰跡

  • 御坊川の井堰跡
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この地周辺の田畑は、給水を受ける池もなく、雨水や井戸・堀の溜水に頼っていた。明治30年、31年の旱ばつにより、農作物はほとんど生産できず、農家の生活は苦境におちいった。元来、御坊川下流は潮が満ちてくると、塩分を含み田畑への利用はできなかった。川を堰(せき)することで潮を防ぎ、川水を取り入れるために、農民の手で明治32年ここに井堰を築造した。以来約20ヘクタールの田畑は潤い、稲作もできるようになった。
昭和30年頃から、都市化により次第に井堰の役目もうすらぎ、100年近く松島の農耕を支えつづけてきた井堰も、平成3年撤去されるに至った。

平成7年1月

千代橋の上流約50メートルの所に、御坊川のかつての井堰(いせき)あとがあります。すべて地域の農民の手によって築造されたというのがその時代らしいのですが、大変な苦労の末の井堰完成だったことでしょう。水門の開閉も難作業で、維持管理も大変だったそうです。御坊川井堰築造の石碑そばに「いせきの地蔵さん」があります。地域の人々が手を合わせに来ています。今でも毎年8月の地蔵盆には御飯が振る舞われています。
話は変わりますが、平成16年8月30日夜、台風16号による未曽有の災害がこの地域を襲いました。大潮の満潮と巨大台風接近が重なり、高潮と御坊川の氾濫による水量は福岡町ポンプ場の排水能力を超えました。広範囲の住宅浸水となりましたが、松島町と福岡町には避難勧告が発令されずのちに問題となりました。塩水被害のため多くの樹木が枯れました。災害の恐ろしさと、それに対する普段からの準備の必要性を学んだ台風でした。