松島コミュニティ|であい ふれあい ささえあい

史跡番号11 高松新浜塩田

慶応2年(1866)武藤六兵衛が、八丁土手の北側の海を埋め立てて入浜式塩田とした。沖松島の古浜塩田に対して「新浜」とよばれた。総面積は、19.5ヘクタールで、大正末期には塩を焚く釜屋が9軒あった。当時は年間約2,300トンの塩がつくられたといわれる。昭和の時代になって、西の方から順次塩田の一部が埋め立てられて、工場敷地や競輪場になった。 塩田周辺が次第に工業地・住宅地化されるにしたがって、周りの環境から製塩に適さなくなり昭和34年5月廃止された。

平成6年2月

八丁土手の道沿いにある舟形の香川県立体育館は、香川県庁舎東館でも有名な丹下健三氏の設計で昭和39年に竣工しました。同年には同氏の代表設計とされる国立代々木競技場と東京カテドラルも竣工されており、最も充実した時期の作品といえます。一般にスポーツ施設やホールといった大空間建築の屋根には鉄骨造を採用するケースが多いのですが、丹下氏はHPシェルの形をした屋根を吊り構造のケーブルで支えるという方法をこの体育館で採用しました。HPとは双曲放物面(馬の鞍のような曲面)の、シェルとは貝殻の意味で、建築においては貝殻を思わせる規則性を持った曲面で空間を覆う方法をいいます。耐震改修調査の際、天井が落下する恐れがあることが判明したため、平成24年から使用中止となり、26年9月末閉館しました。貴重な建造物として残そうという声もありますが、どうなるかは未定です。
なお体育館の西側には高松競輪場(昭和25年開設)が、その北に香川県立武道館(昭和36年開設)があり、そしてさらに北の朝日町の日本たばこ産業高松工場跡地には香川県立中央病院が移転しました(平成26年3月)。