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史跡番号6 千代橋の歌碑

  • 千代橋の歌碑
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この歌碑は、明治12年に木製の太鼓橋から恒久的な石の橋に架け替えられたことを記念して建立したものである。

友安盛敏
「世をわたす 人の恵みを 行きかひに かけて忘るな 千代の磐橋」

入谷澄士
「とこしへに 国のさかえと 動きなき 岩の千代橋 かけるみちしも」

黒木茂矩
「松島の まつの八千代を 鳴わたる 千どりや橋に 名つけそめけん」

雁ノ舎棹好
「橋の名の 千代をしかけて 石ふみの 宇禁(うこん)の花も匂ひわたらん」

中村尚孝
「水に火に 崩れず焼けぬ 末の世を 思ひながして 誰かたくみし」

干時 明治十有二稔一月建立 南海岡銕山 謹書

平成6年2月

 

撮影年は不明ですが、石の千代橋の上で「ちょうさ」を担ぐ上の写真には石碑がみえます。石碑は橋中央部の南側に北向きで立っています。昭和48年に現在の鉄筋コンクリートとなった時に、消防屯所の横に東向きに移されました。また写真にみえる「千代橋」名の石柱は今も橋のたもとに残っています。なお「千代橋」の名称は明治12年の石橋完成時に、永久に通れる橋の意味で命名したそうです(初代の木橋の名は不明)。
歌の作者は江戸時代末期から明治にかけての讃岐を代表する学者・歌人です。人物については「松島の風土記」に詳しい紹介があるので、ここでは歌碑の下部に刻まれている関係者名を記しておきます。

発起人:竹田弥七 松山儀平 村尾為三郎 難波清平 島尾茂平 宗村伊平 漆原清七 熊谷茂吉

世話人:林喜助 渡辺秀三郎 児島元三郎 間島八郎 大美嘉平

石工:山本佐太郎